昨日、Unix System Administrationのクラス中に、ちょっとした言い争いがあった。教授がいきなり、「Windows, Linux, Solarisの中で一番よいGUIを持っているのはどのOSか?」という話題を持ち出したからだ。大体の人は普段使っているOSに関わらず、Windowsだろう、という解答をした。しかし約一名、Linux使いの困ったさんがいて、LinuxのGUIは最高だ、Windowsなんかダメだ、なぜなら設定の自由度は高いし、高速に動くし、なんたって設定がテキストファイルだから…とのたまいだした。
しかし教授は、「良いGUI = User Friendly」という文脈で話していたので、Linuxオタの彼が言っていたことはかなり的外れだった。教授や、普段Linuxを使っている他の生徒にそれを指摘され、彼はますますムキになって同じことを繰り返すばかり。
自分も普段はLinuxを使っているが、御世辞にもLinuxはUser Friendlyとは言えないと思うし、なによりプッツンしてる人を放置するのは少々いただけないので、「じゃぁアンタは自分のばぁちゃんにLinuxをすすめられるかい?」と聞いて見た。そしたら彼は目が醒めるどころかさらにプッツン。何やら自分のLinuxラップトップを取り出して、ごちゃごちゃと設定をいじりだした。何やってるのかな、と思いつつ数分間放置しておいたら、なんとGUIの見た目をWindows風に変えて「ほれ見ろ、こうすればWindowsとの違いなんかわからないだろ?ユーザーはどのOSを使ってるかなんて知らなくてもいいんだ。」と勝ち誇ったような一言。
全くわかってない。見た目は事の本質ではない、ってことに気づいてない。問題なのは、その辺を歩いてるようなネーチャンとか、パソコンをただのテレビと箱程度にしか思ってないオッサンでもとりあえずネットとかメールが問題なくできるか、ってことなのに。
盲目的に何かを信じこむ、ということの危なさを再確認させられるできごとだった。ああいった思考停止はなんの技術革新、改良ももたらさないと思う。彼がLinuxのプログラムに関わっていないただの一ユーザであることを願うのみだ。