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第9回(特別編) 考察・アカデミー賞

第9回(特別編) 考察・アカデミー賞

今回は「カツドウシャシンヤ」の特別編として、毎年世界中の映画ファンを熱狂(あるいは失望)させる、アカデミー賞について考えてみたい。

アカデミー賞は、よく「世界最高峰の映画賞」と称されるが、それはあくまで「興行的な成功と認知度」という文脈においてのみ正しい。カンヌやベルリン、ヴェネツィアといった国際映画祭が「芸術性」や「新進気鋭の作家性」を競う場であるのに対し、オスカーは「全米映画芸術科学アカデミー」という、業界関係者の互助会的な組織によって選ばれる、極めて内向的で政治的な賞である。

その選考基準は、しばしば時の社会情勢や、映画スタジオによる巨額のロビー活動によって歪められる。例えば「タイタニック」が11部門を独占した時、そこにあったのは映画の質への評価というよりも、低迷していた映画産業を救ってくれたスペクタクルへの感謝状に近かった。

しかし、アカデミー賞を「単なる商業主義の祭典」として切り捨てるのも、また映画的な楽しみを損なう行為だ。オスカーの真の面白さは、その「俗っぽさ」の中に時折混じる、アカデミー会員による「良心の呵責」のような受賞作にある。

近年でいえば、小規模な作品が作品賞を攫ったり、それまで無視され続けてきた異才(スコセッシなど)にようやく監督賞が与えられたりする現象だ。それは、時代が進むにつれてアカデミーという組織自体が少しずつ、しかし着実に変化していることを物語っている。

結局のところ、賞は作品の価値を決定するものではない。しかし、賞を巡る狂騒劇を眺めることで、その時代の映画界が「何を大切にしようとしているのか」、あるいは「何に怯えているのか」を知るための良質なリトマス試験紙にはなり得るのだ。

来年のオスカー、果たして誰が笑い、誰が泣くのか。我々観客は、その華やかなショーの裏側にある「大人の事情」を透かし見ながら、ニヒルに、かつ熱烈に、その行方を見守るべきなのである。


Originally published by Tomohide Nakagawa