第8回 早熟の映画監督、ルイ・マル
ルイ・マルという監督の全貌を捉えるのは難しい。彼は「死刑台のエレベーター」(1958)というフィルム・ノワールの傑作で、弱冠25歳にしてヌーヴェル・ヴァーグの先陣を切った。しかし、彼はその後のキャリアにおいて、特定のジャンルや主義に留まることを拒否し続けた。
マイルズ・デイビスのジャズに乗せて、パリの夜の街を彷徨うジャンヌ・モローを撮った「死刑台のエレベーター」の見事な様式美。これだけであれば、彼は単なる「お洒落なフランス映画の監督」で終わったかもしれない。しかし、彼は「鬼火」(1963)で絶望の深淵を描き、「地下鉄のザジ」(1960)ではドタバタ喜劇の極致に挑み、「ブラック・ムーン」(1975)ではシュールレアリスムの世界へと突き抜けた。
彼の作品に共通しているのは、「世界を曇りのない目で見つめる」という、早熟な若者だけが持ちうる特権的な視座だ。
特に、ドキュメンタリーへの傾倒は注目に値する。インドの実態を捉えた「カルカッタ」(1969)などは、劇映画の監督が片手間に撮ったレベルではない。彼は現実という名の怪物を、カメラという武器一つで飼い慣らそうとしたかのようだ。
晩年に米国へと渡り、「アトランティック・シティ」(1980)や「さよなら子供たち」(1987)といった、よりクラシックで重厚な名作を残した時、彼はかつての早熟な天才から、円熟した巨匠へと脱皮を遂げていた。しかし、晩年の作品にさえ漂う「自由への渇望」は、彼が最後まで自分自身のスタイルにさえ縛られなかったことの証左である。
ルイ・マル。彼は常に変化し続け、常に本質を突き続けた、真の意味での「自由人」に他ならない。
Originally published by Tomohide Nakagawa