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第4回 スピルバーグは偉大なる「ハッタリ屋」だ

第4回 スピルバーグは偉大なる「ハッタリ屋」だ

スティーブン・スピルバーグほど、観客の感情を自在に操る術を心得ている監督はいない。彼は「映画というメディアの本質はハッタリである」ということを、最も高次元で体現している。

彼の作品を「子供向け」や「大衆迎合」と切り捨てるのは容易だ。しかし、彼が映画の中で仕掛ける「ハッタリ」の精度は、他の監督の追随を許さない。

例えば「ジョーズ」。巨大なサメがなかなか姿を現さない序盤から中盤にかけての演出。これは単なる製作上のトラブルから生まれた苦肉の策であったと言われているが、結果として「見えない恐怖」という最大のハッタリを映画に持ち込んだ。観客はスクリーンに映っていない「何か」に対して、自らの想像力で恐怖を増幅させたのだ。

あるいは「インディ・ジョーンズ」シリーズにおけるアクションの連続。これらは論理的に考えれば物理法則を無視したデタラメばかりだが、スピルバーグの鮮やかなカット割りとテンポにかかれば、観客はそれを「ありうること」として快楽的に受け入れてしまう。

彼の「ハッタリ」が最も深化を見せたのが「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」だろう。モノクロ映像の中に赤い服の少女を一人立たせる。冒頭のオマハ・ビーチでの凄惨な上陸戦を、ドキュメント・タッチの揺れるカメラで捉える。これらは「凄惨な現実」を描いているようでいて、実は高度に計算された「演出という名のハッタリ」である。

スピルバーグは、映画が持つ「嘘を真実に見せる力」を誰よりも信じ、それを最も効果的に行使する。彼は芸術家というより、極めて優秀な「詐欺師」であり、映画という名の魔法をかける「ハッタリ屋」なのだ。そして、我々観客は、喜んでそのハッタリに騙され続けるのである。


Originally published by Tomohide Nakagawa