第5回 アンゲロプロスとギリシャ哲学・歴史
ギリシャの巨匠、テオ・アンゲロプロスの映画を観ることは、一種の「体験」である。彼の映画に流れる独自の時間は、せっかちな現代映画のそれとは対極にある。
アンゲロプロス映画の真骨頂は、なんといってもその「長回し」にある。一つのショットが10分近く続くことも珍しくない。しかし、その長回しは、実時間の経過をただ記録しているのではない。彼のカメラがゆっくりとパンし、風景を捉え、人物の動きを追う時、そこには「現在」と「過去」がシームレスに同居する。
「旅芸人の記録」(1975)において、旅芸人の一座がギリシャの町を歩き続ける。カメラが彼らを追い、街角を曲がると、そこは数十年後の同じ場所になっている。カットを割ることなく、空間の中に時間を重畳(ちょうじょう)させるその手法は、映画というメディアが獲得した最も高貴な詩学の一つだ。
また、彼の映画には常に「霧」や「雨」、そして「境界」というモチーフが登場する。「こうのとり、たちずさんで」などで描かれる国境線。それは政治的な境界であると同時に、生と死、夢と現実、自己と他者の境界でもある。
アンゲロプロスは、ギリシャという国が背負ってきた悲劇的な歴史を、神話的な寓話へと昇華させる。彼の映画において、人物たちは歴史という名の荒野を彷徨う巡礼者である。
心地よい眠りを誘うほどの静寂。しかし、その静寂の底には、千年の歴史の重みが沈殿している。彼が描き出す冷たい海、灰色の空、寂れた石造りの街並み。それらを見つめる時、我々は単なるストーリーの消費を離れ、宇宙的な時間の流れの中に身を浸すことになるのだ。
アンゲロプロス。彼は20世紀から21世紀にかけて、映画という言語を用いて「哲学」を綴った、稀有な詩人であった。
Originally published by Tomohide Nakagawa