第6回 堕ちてゆくリドリー・スコット
リドリー・スコットほど、そのキャリアの初期と現在で、映画の質が劇的に(悪い意味で)変化してしまった監督も珍しい。「デュエリスト/決闘者」(1977)、「エイリアン」(1979)、そして金字塔「ブレードランナー」(1982)。これらの初期三作において、スコットが提示した映像美は、まさに革命的であった。
彼はもともとCM界の出身であり、一枚の絵の中に詰め込む情報量と、そのライティングの美しさにおいて、比類なき才能を発揮した。スモークを焚き、逆光を多用し、雨や光の乱反射を捉えるそのスタイルは、80年代の映画ビジュアルを決定づけたといっても過言ではない。
しかし、近年の彼の作品はどうだ。「グラディエーター」(2000)以降、彼は単なる「巨大なスペクタクルの職人」に成り下がってしまったのではないか。映像は相変わらず綺麗だが、そこには初期作品にあった「震えるような叙情性」や「記号的な深み」が完全に欠落している。
特に「ハンニバル」(2001)や「ブラックホーク・ダウン」(2001)における演出は、残酷描写や戦闘シーンの「見せ方」こそ巧みだが、物語の本質に肉薄しようとする意志が感じられない。彼は映像の「表面」をなぞることには長けているが、その下にある人間の魂を描く方法を忘れてしまったかのようだ。
リドリー・スコットは、かつては「映画監督」という名の芸術家であった。しかし、現在の彼は「ハリウッドという巨大な工場の、最も優秀な工場長」に過ぎない。工場の製品としては超一流だが、そこに「作家」の魂が宿ることはもう二度とないのだろうか。かつて「ブレードランナー」の雨に打たれながら彼が夢見たであろう、映画の未来を思うと、惜しみても余りある。
Originally published by Tomohide Nakagawa